最後の家族 (幻冬舎文庫)
村上 龍
幻冬舎
2003-04-01

図書館で借りて読んだ。村上龍の長編小説だ。ブログの更新を1か月半以上サボっていたので読み溜めた本がたくさんストックされている。最近はずっと村上龍しか読んでいないので、ブログに載せずに溜まっている本も全て村上龍の小説だ。村上春樹の小説を読んでいたときのように書かれた順番通りには読んでいない。この「最後の家族」は2001年の作品なので今から20年前のものだが、村上龍の小説全体から考えると比較的新しい作品と言って良いと思う。父親、母親、息子、娘の4人家族とその周辺の人物の内面を描いた物語だ。家族4人のそれぞれのストーリーを順番に描いているため、作中の時間の流れが重複しているのが特徴的だ。作中時間は短く区切られていて、それぞれの人物ごとに少しずつ話が進んでいくので、読んでいて飽きるということがない。始めから最後までほどよいペースで読むことができた。心地よい読書体験だったと思う。「最後の家族」を読み進めるのと同時進行でテレビのオリンピック中継を観ていた。男子サッカーが負けて銅メダルを逃すのと、この小説を読み終わるのとがほぼ同じタイミングだったので、読後感にいつもは感じることのない喪失感のようなものを味わった。参加していた大きな祭りが終わってしまったときのようだった。実際にはオリンピックはまだ終わっていないし、「最後の家族」の終わり方は開かれた終わり方だったので、味わうのは喪失感ではなくて達成感であるべきであるように感じる。そもそも私はオリンピックにはあまり興味はなかったので、参加しているような感じになっているのがおかしいし、頭の中で読んでいる小説とテレビで観ているサッカーの試合とがごっちゃになってしまっている。おそらく、私の精神のなかで現実から逃避したい部分が育っていて、小説やオリンピックに逃げ込もうとしているのだろうと想像している。普段の日常のサラリーマンとしての私はこれまで従事してきた仕事を離れて、新しい仕事を与えられているところで、期待と不安が心を満たしているところがある。今週の金曜日は一日夏休みを取ったのでこの週末は4連休となっていた。このクソ暑い中エアコンもつけずに部屋で読書とテレビを観るだけの生活になってしまった。生活環境が鬱屈したものになっている上に、サッカーの敗戦と読書体験の喪失が重なって変なことになったのだろう。できればリセットしたいところだが何をどうすればリセットされるのかイマイチわからない。家から出ることが精神状態に良い影響を与えることは経験上わかっているのだが、コロナ禍で緊急事態宣言が発令されており外出は自粛しなければならない。食生活で気分を切り替えようとして、スーパーで鰻や特上寿司やビールやアイスクリームなど普段とは違う買い物をしたが、体重が増えただけで心には響かなかったようだ。現実から逃避する方向ではなく体当たりする方向として、新しい仕事についての資料を購入して家で勉強をするというアイデアが頭の中をちらついているが、折角の連休中に仕事のことを考えることはしたくない。結局、中途半端に家の中で鬱々しながら過ごすしかないのかもしれない。しかし、こうして自分の精神状態を文章化しているうちに、どうでもよいような気分になってきた。これはきっと良いことなのだろうと思う。気分が鬱になる要因のひとつにブログの更新をサボっていることがあったのは確かだ。私は人から真面目すぎるといわれることがあるが、自分では人生に対して不真面目な側面を知り尽くしているので、私のどこが真面目に見えるのだろうかと疑問に感じることがある。きっと、ブログの更新をサボるだけで人生の大きな問題が上手く行かないときのように心が鬱屈するこの性格が外部的には真面目に見えるのだろう。どうにかしたいがどうにもならない私の個性だ。この小心者の精神をこれからも抱えながら生きて行くのだろう。しかたがない。連休はまだ2日半残っている。エンジョイしなくてはならない。どうすればよいのか見当もつかないが・・・
ブログの更新をサボっていた原因のひとつは上に書いたとおりだが、もうひとつ理由があって、それはアマゾンアソシエイトの申請が通らなかったことである。このブログのURLと同時にツイッターのURLも申請したのだが、どうやらツイッターではフォロワー数が最低でも500必要であったらしい。ツイッターはほとんど懸賞の応募にしか使っていなかったので、フォロワー数は100にも届いていなかった。それが原因で申請を却下されたのだ。却下されて茫然自失状態だったが、昔、別のブログをやっていた時に使っていたアカウントがあったことを思い出した。会社を休職していた時に小遣い稼ぎになるかもしれないと考えていたのだ。結局小遣いにもならないくらいしか稼げず仕事にも復帰したのでブログは全消去した。その時使っていたアカウントだ。確認したところアカウントは生きていた。なので、この「読書感想ブログ」に使用しているアマゾンアソシエイトのリンクを全てそのアカウントに張り替えるという賽の河原で石塔をつくるような作業を実行したのだ。これが精神に良くなかった。ブログから心が離れてしまったのだ。また、それまで全く考えていなかった、ツイッターのフォロワー数を増やしてみようという野心も生まれてしまった。どうすればフォロワー数が増えるのかわからないままに、懸賞の応募でフォローしまくっていて3000以上のフォローをしていたのを200程度まで削減して整理したり、似たような内容のアカウントをフォローしまくったり、朝から晩まで時間が許す限りツイートしまくったりしたが全くフォロワー数は増えなかった。投入したエネルギーは膨大なものだったので反動で心が鬱になった。おそらく、フォロワー数を増やすためには、ひとつひとつのツイートにもっと心をこめる必要があるのだろうということだけは何となくわかった。エネルギーを投入する方向性を間違っていたのだ。アマゾンアソシエイトのアカウントは生きているものを持っているので、ツイッターのフォロワー数はもう関係ないのだが、割り切れない思いが残っている。だから、ツイッターについてはフォロワー数500越えを目標に地道なツイートを続けていくつもりだ。ブログは記事の更新を再開できたのでこの調子で続けていきたい。緊急事態宣言が出ているし、ワクチン接種の予約はいっぱいで取れないし、台風が来ているしで家に籠もっていることしかできないこの連休は、結局テレビでオリンピックを観たり、村上龍の小説を読んだり、ブログやツイッターを更新したりして過ごすことになるだろう。あと猫たちと戯れるのも重要だ。何も解決していないがそれが私の人格なのだろう。しかたがない。

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